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社会人としてのスタートは米国 任されたホテルの仕事で成功と失敗を経験



CEO BY FORTY
スカウトされて帰国、運命の出来事に遭遇し
一転モリシマの社長へ




 
仲間との交流から新しい販売方法を考案
双方収益につながるシステムで経営を助ける

  不要な部門は切り捨てる決断も必要  核となる事業のさらなる充実を目指す




 


斬新な販売手法を他業種企業の発想からベンチマーキング。
『ベストプラクティス』を構築した成功事例。






株式会社森島羅紗店










渡米して4年経った昭和50年、深田社長のユニークかつ大胆な仕事ぶりを聞きつけたホテルオークラからスカウト話が舞い込み、帰国することになった。そこでもホテル経営の活性化のためにさまざまなアイデアを出した。そのひとつがアウトサイドケータリング、いわゆる出前の導入である。国賓を招く迎賓館での出張宴会は大きな成果を上げた。またホテルオークラ・チェーン設立に参画し、経営不振だったグアムやアムステルダムのチェーンホテルを業績向上させ、アメリカで磨いた手腕を余すことなく発揮。深田社長が尊敬するアメリカの勤務先のオーナーが言っていた言葉「 CEO BY FORTY(40歳までに社長になる)」を目標に燃えていた。ところが、ホテル経営者への道を順調に歩んでいた昭和57年、夫人の父親であるモリシマの社長が直腸ガンで余命いくばくもないことが発覚したのである。後を継ぐ者は、オーナーの女婿である深田社長しかいない。もちろん、そう簡単に今の仕事を辞める気はなかったが、義父を診た医者は深田氏の友人だった。その友人から呼び出されて諭されたという。「友人が、家業とか親のことを真剣に考えたらどうかと言うんです。モリシマも蔦茂も放っておいたらやっていけないというのは僕でもわかるよ、今なら間に合うかもしれんぞ、と。僕もグラッときましてね。家内にチラッと継いでもいいようなことを言ったらその気になっちゃって、上司に電話して辞めますと家内が勝手に言っちゃったんです(笑)。やはり家内も実家の会社が心配だったんでしょうね。それで僕も腹を決めてやることにしたわけです」
そうして昭和58年6月に、深田社長はモリシマの副社長に就任した。35歳のときである。

社長である義父が同年10月に逝去し、深田社長は代表取締役に就任したものの事業の引き継ぎは何もなく、できることは掃除と荷物運びだけだったと言う。モリシマは当時「森島羅紗店」という名で紳士服地を仕立屋(テーラー)に卸売りしていた老舗の店だったが、仕立屋自体が無くなっていき、とにかく売れない状態だった。
「マーケットも悪いし、財務内容も悪い。どうにもならないほどの経営状況で、整理するとかどこかに身売りするとか、何らかの手だてを早急に打たないといけないと思いました」
そこで深田社長は迷いもせず、友人の力を借りることにしたのだった。親しかった友人達に手紙で苦しい状況を打ち明け、直販で服を買ってくれないかと呼びかけたのである。その集まりが後に名古屋経営研究会として活動するようになっていった。名古屋経営研究会とは、業種は問わず、主に中小企業経営者で構成されたコミュニティーで、現在では講師を招いて経営・経済・社会・教育などの講演で幅広い研鑽を積んだり、大学生を対象に企業経営の講義を行うなど、次の時代を担う後継者をみんなで育てていこうと積極的に活動を展開している集団である。
深田社長は名古屋経営研究会の友人達の知恵を借りながら、さまざまな展開を開始した。とにかくお金に困っている状況ゆえ、手っ取り早くお金になる方法として、持っている洋服屋の流通ネットワークを使って人を集め、洋服以外の物を売ることができないだろうかということを考えた。取引先であるテーラーは地元の名士が多く、集客力を持っている。そこで知り合いだった有名毛皮メーカーと絵画ギャラリーオーナーの協力を得て、それぞれの販売会をホテル催事として実施することにした。ホテル勤務の経験を生かして全国の一流ホテルの催事場を押さえ、取引先や紹介してもらったブティックなどにPRしてもらった。今でこそよく見かける販売方法だが、一番に始めたのが深田社長だったのだ。開催当初はアイデアが受け絵画が売れていった。しかし、リピートがまったくないため続かず、毛皮も回を重ねる毎に売上が落ちていってしまった。それでもお金が回りだしたことに変わりなく、この事により徐々に会社が活性化してきた。
とはいえ、洋服以外に進出する事は社員から反発も起こりそうなものだが、当時の深田社長は有無を言わさぬ勢いで、実際にお金が回りだしたために社内的な軋轢も目立ってはいなかった。
次に試みたのが、新たな流通ルートによる販売である。既製服の郊外店がブームになり、「洋服の青山」をはじめ大小さまざまな店舗がオープンし賑わっていた。そこで深田社長はメーカーとタイアップし、既製服という形で郊外店へ売っていくというプロジェクトをスタートさせたのだ。従来、モリシマの仕事はテーラーへ紳士服地の卸売りやイージーオーダー販売だったが、このプロジェクトでは、メーカーに生地を渡してモリシマがデザインする洋服に仕立ててもらい、既製服とし売ることにしたのだ。そこで熟考しなければならないのが郊外店の規模である。大型店だと大量に商品を出荷できるが、売れなかった場合は返品の在庫を大量に抱えることになる。深田社長はリスクを避けるため、年商10〜20億程度の小売店へと卸し先を絞って展開した。そうして(次々と新しい販路や販売方法を考え)、少しずつ業績を伸ばしていったのだ。






 
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